1980年 早稲田実 荒木大輔投手の登場

   
1980年夏 早稲田実業 荒木大輔投手の登場

1980年といえば広陵の渡辺投手が作文でいい作文を書き、翌年のNHKの青年の主張で準優勝を取った年 だった。父親が渡辺君も苦労したんだな と言っていたのが一番印象に残っている。

渡辺投手といえばアンダースローの投手で 後に広島入りする 原選手とバッテリーを組んでいたと思う。
そして現広陵の監督さんの中井監督が1番でショート 春も夏も効果的な盗塁を上手く決めていた。

それを見てコメントしたのか 横浜高校の渡辺監督は2007年の決勝戦 佐賀北対広陵で 広島商業や広陵などの 広島県の学校は、バントや盗塁などの機動力を確実に使ってくるから ランナーを一塁に出したら、注意しなけ ればいけないのようなことを言っていた。

そういえば両校ともにセンバツの決勝戦での横浜高校との対戦があったと思う。

この大会はベスト8で右側のブロックに評判の戦った学校が集まった。その中でも、前年度の優勝の箕島が今年 も優勝するだろうと思っていた。

ところが、その頃、向こうのブロックではとんでもないことが起こっていた。
まだ一年生だという投手がまだ一点も取られていないという 信じがたいようなことが起きていた。

その辺の草野球でやっているのではない甲子園で一年生の投手がゼロを44個並べたというのだ。その人はお そらく天才だろうと思った。それが早稲田実業の荒木大輔さんだった。

初めて観たときはずいぶんと華奢な感じのする投手だと思ったが、なにせ男前である。
そのために、荒木さんは少し気の毒だった。それは 女性ファンが騒ぐからだ。
二年生の夏の大会では 金村!(報徳の金村選手のこと)一発叩き込んでやれ!とだみ声で私の周りの人たちも言っていた。

しかし、自分は荒木さんには全然悪い印象がなかった。実に礼儀正しい人だし感じの良い人だと思った。
思い出甲子園でのインタビューも実に感じの良いものだった。この時、後に対戦するのは江上(池田) さんをはじめとする甲子園 の強打者だとは夢にも思わなかっただろう。



1980年夏 二番手投手の活躍 横浜VS早実

1980年の夏の大会は早稲田実業の荒木大輔投手はあれよあれよという間に決勝まで勝ち上がった。相手はあの箕島を接戦で下 した横浜高校だった。

横浜高校には絶対的なエースである 左の愛甲投手がいた。そして もう一人同じ左で愛甲選手の影で目立たなかった川戸浩 投手という投手がいた。

渡辺監督はこの川戸投手が愛甲投手の影になっていつも報われなかった事を気にかけ うちのエースは愛甲だけではありません よ 川戸もいますよ とマスコミのインタビューに答えていたそうだ。しかし、愛甲投手と同じ左ということもあり、あまり登板 していたのを見たことはないし(一二回戦に登板していたが目立たなかっただけかも知れない)。

そういえば、左投手が横浜にもう一人いるというのを何かの雑誌で読んだことがあったぐらいだった。それが最後の最後の試合 で出てくるとは思わなかった。

横浜の渡辺監督と言えば、試合後のインタビューなどで相手チームの選手に対する労いの言葉などに 人柄の良さを感じさせてくれる監督さんだが ずっと日の当らなかった川戸投手に最高の檜舞台で投げ させてやろうと決勝戦の最後のマウンドは川戸投手で行こうと決めていたそうだ。いかにも渡辺監督ら しい演出だな と後になって感じた。渡辺監督は実にいい人だ。

川戸投手のことをいつも気にかけていたらしい。厳しいながらもいつも選手のことを思っている。そう いえば、渡辺監督は負けたチームの監督さんや選手へのねぎらいの言葉も実に丁寧だ。

川戸投手は6回からマウンドに上がった。そして4イニングを最高の投球をした。その話を報知高校野球で読 者の誰かが書いていたのを読んで 本当に良い話だなあと感動した。