1985年 四国の小さな町に凄い投手が

   
1985年春準決勝 圧巻!伊野商業 渡辺投手 清原3三振 (PL学園 対 伊野商業 )

準決勝の第一試合はPL対伊野商となった。試合はPLの圧勝だと思っていた。しかし・・・高校野球はふたを開けてみないと分からない。この試合はそれを実感した試合だった。

1985年春といえばやはり一番の思い出に残る試合は伊野商業がPLを破った試合だ。

準決勝第一試合はPL学園対伊野商だった。大方の見方はPLが優勢だった。この頃のPLの評価は別格だった。

事実、清原選手も、準決勝の相手が伊野商をノーマークだったと言っていた。

自分は、その頃学校のクラブは野球ではなく卓球をしていた。春休み中だが 卓球台の片づけをしていた時に 先輩方が入ってきて 『おい清原が三振だったぞ』と言った。卓球台の片づけの途中だったが 『片づけは いいから はよう視聴覚室に来い』と言われた。

顧問の理科の先生がテレビをみていて卓球部の多くの生徒が注目していた。なんと2打席目も清原が三振どうなっているんだ 多くの輩が 目を疑った。大きく振りかぶって投げるのが印象的な投手だたが、普通清原を相手にしたら並みの投手ならビビッてしまうだろう しかし、この投手は違った。8回の最終打席は三球三振 清原のバットがすりもしない どうなっているんだ 先輩方や顧問の先生は正直驚きの色を隠しきれなかった。

カメラが前から渡辺投手をとらえた時に キャッチャーの指示にうなずくしぐさが映し出されたがメガネの奥に冷静な読みがあるのか 余裕さえ感じた。

結局 三打席三振 清原のバットが渡辺投手のボールにかすりもしない あの清原が 前代未聞の衝撃が襲って来た。それにしても こんな大投手が四国の小さな町にいたんだなあと思った。結局清原を封じた渡辺投手の力投もあって試合は3-1で伊野商が勝った。

1985年春決勝 伊野商 初出場で初優勝 (伊野商 対 帝京)

決勝は帝京対伊野商になった。この試合は自宅の居間で友人と見た。明日から新学期だった最後の春休みだったからだ。解説は箕島の尾藤監督だったのをよく覚えている。この試合は 帝京の前田監督は5点勝負  そして伊野商の山中監督は 1点勝負だと思っていたらしい

それにしてもこの試合は渡辺投手の好投が光る やはり清原を3三振にとっただけはあった。帝京の打者は全くついていけない。1回のウラにランナーを出して3塁まで走者を進めたが渡辺投手のストレートにバットが空を切る。

渡名投手のストレートは普通の高校生で打つのは難しいと感じた。前田監督は140㎞をマシーンで打ってるから5点は取れると言っていたらしいが・・・・それはちょっと前田監督も大風呂敷ひいたなあ・・・と感じていた。

一方、解説の尾藤監督は 今大会は横浜 報徳 などの打力の強いチームが敗れているが、それに対するコメントを聞かれた時、投手と守りがしっかりできているチームが上に上がっていくというコメントをしていた。

ここに、前田監督との野球に対する考え方の違いを感じた。箕島は接戦に強いがそれは確かに投手と守りはしっかりしていればこそできることだ。なるほど 尾藤監督のいうことは一理あると納得していた。

尾藤監督は渡辺投手に対して、カーブをうまく混ぜて 仮に、ストレートでカウントを戻す。打ちづらい投手だと評していた。

一方、帝京の小林投手も技巧派の好投手だった。彼の場合は左足を開いて投げるカーブの後にシュートを投げてくる。これは正直打ちにくい。

試合は5回まで投げ合いが続いていた。しかし均衡を破ったのは、6回だった。ヒットで出たランナーを1塁においてバントで2塁に送った。1点勝負と言っていた山中監督の手堅い攻撃だ。次の2番バッターは倒れたが3番が三遊間を破り レフトが左にスライドしていく強烈な打球をはじいてしまい2塁ランナーは生還した。

そして、次の四番でエースの渡辺選手がカーブをうまく引き付けて ライトのラッキーゾーンにきれいな打球のホームランを放った。これで 渡辺投手は勢いに乗った。結局 帝京打線を散発 完投 4-0で帝京を破り、高知県に紫紺の優勝旗が渡った。