夢の対決 87年PL 対 98年横浜
結論から 87年PL学園が98年横浜に僅差で勝つ可能性が高い
理由
1.横浜対明徳の試合から
98年の横浜対明徳 明徳義塾戦(0-6からの逆転)は、美談として語り継がれていますが、別の観点から見れば「エースが投げなければここまで打たれるのか」
という控え投手の脆弱性を露呈した試合でもありました。 これは甲子園は2番手投手では勝てない という解説の原田さんの意見を反映した端的な例です。横浜の
渡辺監督は二番手三番手の投手の重要性を理解していて、二番手投手の袴塚投手にも甲子園で投げる可能性が十分あるから準備をしておくように指示をしていた
と何かの本で読んだことがあるのですが・・まさか甲子園の準決勝でその大役やってきて5万人以上いる観客の前で全国屈指の強豪の強力打線を抑えろというの
は、それはいくら横浜の選手でも無理でしょう。
桑田 松坂 田中の3人は 確かに時代を代表する非常に優秀な投手です。しかし、彼らだって人間ですから調子の悪い日もあるし まして夏の甲子園の過酷なコン
ディションで戦うわけです。隙のない攻撃: 3番・立浪、4番・片岡篤史を筆頭に、どこからでも点が取れ、さらに「PL伝統」と言われる緻密な機動力・バント
・進塁打の精度が極めて高かったです。どんなに優秀な投手といえども、これほどまでに洗練された打線に揺さぶられれば、スタミナを激しく削られたはずで
す。
2.守備と攻撃の完成度(87年PL)
鉄壁の守備: ショートの立浪和義を中心に、高校生離れした守備網を誇っていました。特に二遊間の堅実さは、松坂の剛腕でねじ伏せる横浜のスタイルよ
りも、試合全体を通じた「計算の立つ強さ」がありました。もし相手が87年のPLであれば、6点のリードを許した時点で、立浪らの鉄壁の守備と野村・橋本
の継投を前に、逆転の隙すら与えられずに逃げ切られていた可能性が高いです。
3.メンバーがプロでも大活躍している
プロ入り後の実績を見ても、87年PLはレギュラーのほぼ全員がプロへ進み、その多くが主力として長く活躍しました。この「個のスキルの集合体」としての
完成度は、高校野球の枠を超えていたと言えます。
4.計算できる投手が2人以上いる
87年のPL学園の強みは、なんといっても投手の選手層の厚さです。 これは他のチームにはない強みです。自分が最も驚いたのは、1987年 第59回選抜大会の
1回戦で、西日本短大附属(福岡)と対戦した時の橋本投手の球でした。 先発の野村弘樹投手(のち横浜)が5回まで無失点と好投し、3-0とリードた状況
で、6回から橋本投手がマウンドに上がりました。その時感じたのが これが2番手投手の球か ということでした長身から繰り出すストレートや変化球の
キレは高校生離れしていました。初戦の西日本短大附属戦だけでなく、準決勝の東海大甲府戦でもリリーフとして登板し、逆転劇を呼び込む好投を見せてい
ます。また決勝の関東一戦でも関東一打線に対し、切れのある速球と変化球を武器に、反撃の隙を与えず無失点に近い形で勝利を確定させました。 87年の
PL学園が今後50年は出てこない極めて優秀な戦力を持つチームという訳は 計算できる投手が少なくとも2人はいることに起因しています。