池田=北の湖 箕島=輪島 PL=千代の富士 

     

1970年代後半から1980年代前半にかけての「大相撲の横綱」と「高校野球の強豪校」のキャラクターや強さの質は以下のように例えられる

北の湖=池田
1980年代前半に「やまびこ打線」で甲子園を席巻した池田高校の、パワーでねじ伏せる北の湖そのもの

輪島=箕島
「黄金の左」と呼ばれる卓越した技術と才能を持った、華のある横綱 甲子園春夏連覇(1979年)を成し遂げた嶋田宗彦 石井毅らを擁した箕島の、無駄がなく完成された強さ、優雅さと力強さが共存する 力の北の湖に対して技の輪島

千代の富士 = PL(桑田真澄・清原和博)
昭和の終わりから平成にかけて角界の顔だった千代の富士と、高校野球の黄金時代を築いたPL学園は、ともにその時代の 「王座」小柄ながら巨漢の力士をなぎ倒すのは桑田投手ともかぶるものがある

その理由から探ってみよう

輪島 対 北の湖 が 箕島 対 池田に 投影される理由
1979年は、池田の「力」と箕島の「技」という対比が、当時のスポーツ界を象徴する構図だった。池田が「やまびこ打線」で強引にねじ伏せる姿 が、巨漢で真っ向勝負の北の湖に。 箕島が数々の奇跡的な粘りと巧みな戦術で勝つ姿が、下手投げの名手で策士の輪島にファンは、甲子園で見 せた「力 vs 技」のドラマを、国技館で同年行われた「輪湖対決」に投影していたのではないか。
池田の蔦監督は「野球は取られたら取り返せばいい」という哲学を持ち、緻密な守備よりも「力で相手の戦意を喪失させる」戦い方を選んだ。 これが北の湖の「立ち合い一撃で勝負を決める」威圧感と重なった。反対に箕島の尾藤監督は1979年の星稜戦で見せたように、絶望的な状況でも 「何かやってくれる」と思わせる勝負強さがあった。これは、輪島が左下手一本で逆転勝ちを収めるような玄人好みの「負けない野球」だった。

北の湖 対 千代の富士 が 池田 対 PLに 投影される理由
1981年(昭和56年)初場所 千秋楽:北の湖 vs 千代の富士  は 千代の富士が北の湖を寄り切りで破り初優勝。大相撲における「パワーから スピードへ」の転換点である。大相撲の2年後、高校野球でも全く同じ構図の「主役交代」が起こりました。1983年(昭和58年)夏の甲子園 準決勝:池田 vs PL学園池田高校が圧倒的なパワーで勝ち進む姿に「かつての憎らしいほど強い北の湖」を重ねることができる。一方で、その 巨人を倒したPL学園(特に桑田投手)のスマートな強さに、小兵ながら筋肉の鎧をまとって巨漢をなぎ倒した千代の富士の姿を投影される。 この対戦は、対戦は、単なる勝敗を超えて、昭和のスポーツ界における「パワーの時代から、スピードと技術の時代へ」という大きなトレンド の変化を象徴している。